【NBA】ロサンゼルス・レイカーズはなぜ愛されるのか?活躍した選手に迫る!

NBAの2024‐2025シーズンが開幕しました。今シーズンのNBAも白熱した戦いを見せています。筆者は、幼少期からロサンゼルス・レイカーズのファンで、今年もチャンピオンリングを目指しながら、いい順位をキープしています。

レイカーズは、NBAでも古豪として知られるチームでMLBのドジャースと同じく深い歴史のあるチームです。本記事では、レイカーズの歴史を振り返りながら、レイカーズの魅力について語っていきます。

目次

レイカーズの歴史

創設期(ミネアポリス時代)

1947年、レイカーズはミネソタ州ミネアポリスで「ミネアポリス・レイカーズ」として設立されました。チーム名の「レイカーズ」は、ミネソタ州が「1万の湖の地」として知られていることに由来しています。この時期、ジョージ・マイカンを中心に、1949年から1954年の間に5度のNBAチャンピオンに輝くなど、初期の黄金時代を築きました。

拠点移転(ロサンゼルスへ)

1960年、レイカーズはカリフォルニア州ロサンゼルスへ移転し、現在の「ロサンゼルス・レイカーズ」となりました。

エルジン・ベイラーやジェリー・ウェストといったスター選手を擁し、NBAファイナルに複数回進出しましたが、ボストン・セルティックスの壁に阻まれ、優勝には届きませんでした。

しかし、1972年にはウィルト・チェンバレンの活躍もあり、ニューヨーク・ニックスを破ってロサンゼルス移転後初のNBAチャンピオンに輝きました。

ショータイム時代

1979年、マジック・ジョンソンが加入し、カリーム・アブドゥル=ジャバーとのコンビで「ショータイム」と称される華麗な速攻バスケットボールを展開しました。

1980年代にはパット・ライリーヘッドコーチの下、10年間で8回のファイナル進出、5度の優勝を果たしました。特に1987年と1988年の連覇は、1969年のボストン・セルティックス以来の快挙でした。

シャック&コービー時代

1996年、シャキール・オニールとコービー・ブライアントがチームに加わり、1999年にはフィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任。この強力な布陣で、2000年から2002年にかけて3連覇を達成しました。特に2001年のプレイオフでは、15勝1敗という驚異的な成績を残しています。

コービー&ガソル時代

2007年、パウ・ガソルを獲得し、コービーとのデュオで2009年と2010年に連続優勝を果たしました。特に2010年のファイナルでは、宿敵ボストン・セルティックスを破り、2連覇を達成しています。

レブロン・ジェームズの加入

2018年、レブロン・ジェームズがレイカーズに加入。翌年にはアンソニー・デイビスも加わり、2020年にはNBAファイナルでマイアミ・ヒートを破り、10年ぶりとなる17回目の優勝を果たしました。この優勝で、レイカーズはボストン・セルティックスと並び、NBA最多タイの優勝回数を誇ることとなりました。

レイカーズのレジェンドたちの魅力

ここからは、これまでレイカーズで活躍したスター選手を何人かピックアップして紹介します。

マジック・ジョンソン

マジック・ジョンソンは、1979年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズに全体1位指名され、以降13シーズンにわたりチームの中心選手として活躍しました。

彼の卓越したパスセンスとリーダーシップは、レイカーズの「ショータイム」と称される高速オフェンスを牽引し、1980年代に5度のNBA優勝(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)に大きく貢献しました。

ジョンソンは、ポイントガードとしてのプレーにとどまらず、センターやフォワードなど複数のポジションをこなすユーティリティ性を持ち、特に1980年のNBAファイナル第6戦では、負傷したカリーム・アブドゥル=ジャバーに代わりセンターとして先発出場し、42得点、15リバウンド、7アシストの活躍でチームを優勝に導きました。

引退後の現在は、MLBのロサンゼルス・ドジャースで共同オーナーを務めたり、映画館やレストランチェーンの経営を担ったりしています。スポーツ界やビジネス界での影響力を持ち続けており、NBAのレジェンドとしてその名声は色あせることなく、多くのファンや選手から尊敬を集めています。

シャキール・オニール

シャキール・オニールは、1996年から2004年までロサンゼルス・レイカーズで活躍し、NBA史上最も支配的なセンターの一人として知られています。

彼の在籍期間中、レイカーズは3連覇(2000年、2001年、2002年)を達成し、オニールはこれらのファイナルで3年連続MVPを受賞しました。レイカーズ時代、オニールはコービー・ブライアントとともに強力なデュオを形成し、チームの中心として活躍しました。

筆者も幼少期からシャックの活躍をTVで見ていましたが、ユーモア溢れる言動や圧倒的なパワーでダンクまで持ち込むプレイスタイルが好きでした。

コービー・ブライアント

コービー・ブライアントは、1996年から2016年までの20年間、ロサンゼルス・レイカーズ一筋で活躍したNBAを代表するスーパースターです。

  • NBAチャンピオン: 5回(2000年、2001年、2002年、2009年、2010年)
  • ファイナルMVP: 2回(2009年、2010年)
  • シーズンMVP: 1回(2008年)
  • オールスター選出: 18回(1998年から2016年まで、1999年を除く)
  • オールスターMVP: 4回(2002年、2007年、2009年、2011年)
  • オールNBAチーム選出: 15回
  • オールディフェンシブチーム選出: 12回
  • 1試合最多得点: 81得点(2006年1月22日、NBA歴代2位)

彼の背番号「8」と「24」は、レイカーズによって永久欠番とされ、同一選手で2つの背番号が永久欠番となるのはNBA史上初のことです。

しかし、2020年1月26日、コービーはカリフォルニア州でのヘリコプター事故により、41歳の若さで他界しました。この悲報は世界中のファンやスポーツ界に大きな衝撃を与えました。

筆者が思う「コービー・ブライアント」とは

NBAで最も好きな選手を挙げるならば、「コービー・ブライアント」と答えるほど、筆者はコービーファンです。TV画面を通じて、コービーの闘志や集中力が伝わってくるのが幼少期の記憶に残っています。

勝ちたいという思いがこれだけ表情や雰囲気に現れているのは今でも最も印象に残っています。しかも結果もきちんと残すわけですから、自信に裏打ちされた入念な準備も尊敬できる点です。1日に練習を4回、早朝から誰よりも練習を積み重ねてハードワークをこなす圧倒的な練習量には感服します。

コービーは少なくとも筆者の人生に大きな影響を与えてくれた選手で、ここでは語りつくせないほどです。また、別記事でコービーの魅力について紹介できればと思います。

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